居酒屋オーナー、父の生き様

ファミレスにて

 

父は会計だけ済ませて

僕と、妹だけを残して出て行ってしまった

 

 

その次の日死んだ

キッチンで燃えて、死んだ

 

 

葬式は親戚のみ

10人にも満たない人たち

 

 

体育館ほどの広さどころか

学校の教室ほどの広さすらない

 

 

こじんまりとした、真っ白い個室

 

 

そこで父は

もう二度と開くことのないまぶたで

棺の中でそこにいた。

 

 

 

父はたくさんの人と関わるのが好きな人だった

反対にこじんまりとした家族に対しては素っ気なかった。

 

 

父は弁当屋に勤め

そこで母と知り合い、結婚

 

自営業をやり始めて

席30ほどの居酒屋を経営して

 

たまに公園にて

30人ほどの人をあつめてバーベキューなどをやって

 

 

自宅のキッチンで、焼けて死んだ。

 

 

顔は焼けておらず

煤などがほおについていたが

 

全体として血色もよく

顔は綺麗だった

 

 

今にも起きだし、仕事に使う調理器具を

車から運び出しそうな、そんな顔で棺にいた。

 

 

泣くつもりは一切なかった

あんまり父が好きじゃなかったから

 

 

言うなら嫌っていたし

一刻も早くこの世から消えてくれないかと思っていたくらい

 

 

しかし、棺にある父の顔を見たら

涙が止まらなくなった

 

 

こみ上げてきたどうしようもない感覚

 

 

そして後悔した

 

父が何よりもやっていた仕事

 

それを一度も聞かなかったこと

手伝わなかったこと

 

 

父は母が結婚したのは父が40ほどの時

 

 

弁当屋で働く父と母が

付き合い、結婚

 

 

この辺は母の方が断然詳しいのは間違いない

何せ僕はまだいないから

 

 

そしていつからかわからないが

自営業で居酒屋をやることになる

 

 

勇気のある人だ

何をどうしたらいいのか最初はわからないだろうに

 

 

店を、場所を用意しなくちゃいけない

お金もかかるだろう

 

飯も用意しなくちゃいけない

それにもお金もかかる

 

また調理器具も必要だ

 

実際、僕が子供の時は

家が調理器具で溢れてたくらい

 

 

銀色の2.3mはありそうな長い棒や

これまた銀色の四角い箱のようなものが

 

 

玄関の廊下に散乱してた。

 

 

気になって触ってみると

なんだかベタベタする

 

キッチンにある換気扇のベタベタに近い感じ

 

 

そんな調理器具を車に乗せて

店まで運ぶのだ

 

 

またそんなことまでやっても

売り上げが上がらなくなったらそれまでだ

 

 

店を畳まなければいけないし

調理器具も無駄になる

 

 

けれど父は最後の最後まで

生計を立てていた

 

 

死後の手続きでわかったことだけど

年金も滞納なく収めていた

 

 

間近3か月分くらいは未納だったけど

それ以外は全部

 

 

しかもそれらを全部1人でやっていた。

 

 

誰かからのアドバイスとかは必須かもしれないけど、それでも

 

 

家で、旅行で

彼が仕事に対して面倒だとか言うことは一度もなかった。

 

 

一度だけ

「カラオケやってみたけど、あれはダメだね

 

 

みたいなことを言っていたけど笑

 

 

ともかく、子供である僕に

手伝えとか言うことも一度もなかったし

 

 

店のこと、資金繰りのこと

これらを全部1人でやっていた。

 

 

全部失う危険もあると言うのに、だ。

 

 

しかもちゃんと経営して

旅行にも出かけ

 

 

また、年金も納めていた。

 

 

こうやって書いていくと改めて

結構すごいことやっていたのではないかと思う

 

 

彼はそれらを1人でやっていた

どうしてそこまでできたと言うんだろう

 

彼が、父がどう言うことが好きだったのかは知らないけど

 

 

大人数でバーベキューをよくやっていた。

 

 

例えば夏休み。

 

 

夏休み、特にお盆になると

父は必ずと言っていいほど実家に帰っていた

 

 

横浜から、千葉へ

 

 

白いワゴン車に浮き輪とか、などを詰めて

4人を乗せて

 

あるいは高速道路で

あるいは船に乗って

 

 

3時間以上かけて

千葉まで車を走らせていた

 

 

何を話したのかはもう覚えていないけど

僕は助手席に座っていた

 

 

高速道路で前の車が2〜3台ある中で

車は快速

 

よくメーターが時速100キロを超えていた

 

 

その中彼は何かしら取り止めもないことを呟き

そして僕か、妹か、母が反応する

 

 

反応が鈍かったり、返事がなかったりすると

父はなんだか不機嫌になる

 

 

しょうがないから何かしら元気に振る舞っていた

 

 

そんな高速道路を抜けると

 

 

東京湾フェリーなるものに着く。

 

 

車を乗せて海を進む船だ。

まずでかい。

 

 

車が30台は余裕で入りそうな

鯨も真っ青なくらい大きい

 

 

ゾウなら100等分はあるかも知れない

ともかくでかい。

 

 

船に入ると、1時間もの、大海に乗り出す

 

 

周りはただ広い海のみ

 

 

カモメが10羽ほど

船の速度に追いついてくるように

漂ってくるので

 

 

父はかっぱえびせんを買って

投げて餌をやっていた。

 

 

かっぱえびせんを投げると

カモメの群れが一斉に反応し

 

 

海に落ちていくえびせんを1羽のカモメが追いかけていく

 

 

海のすれすれのところまで追いかけ

そしてまた僕らの頭上10mうえ辺りをまた漂い始める

 

 

カモメと戯れると

だんだん陸が見えてくる

 

緑。山に、森林。

ただただ緑色

 

 

船旅も終えて、また車を走らせて

そんで、父の実家に着く

 

 

これまたでかい、そしてボロい

畑や謎の納屋などもある

 

 

周りは田んぼだらけで

と言うか田んぼのみ、田んぼしかない。

 

 

「おっ!トンボ!ほら翔吾、あれ!!

 

 

トンボを指差しする父と

それを探しキョロキョロする僕

 

 

わからない

父は指差しをよくするが

 

 

それがなんなのかわかったのは多分10回に2〜3回くらいだろう

 

 

「どこ?なに?

「ほら!!あれだよ!あれ!

「え!?どこー?

 

 

だいたいは僕はトンボとかを見つけることができず

父はやや不機嫌になる

 

 

見つけるフリをして

すごいとか言えば上機嫌になったんだろうか。

 

 

それはともかく父の実家は

敷地が広いので

玄関前でバーベキューをやることもしばしば

 

 

仕事柄だろうか

よく父は肉を焼き

みんなに配る役目だった

 

 

肉をなにやら大量に持ってきて

野菜もこんもり

 

 

ピーマンだか

あるいは玉ねぎだか

 

 

どんどんバーベキューセットの網の上に置いていく

 

 

僕はうちわで火力を高めていた

たまに炭が宙をまい

 

 

目を擦り、ゴホゴホ言いながら

 

 

紙皿を持ち

肉を焼き上げ

みんなに渡していく父は

 

 

声をあげ

そして笑っていた

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

家のリビング

いつもは飯を食うところだけど

今日は勝手が違う

 

 

テーブル越しに何やら父と母が突っ立っている

 

何か大きな声で、眉間にシワを寄せて大声を上げている

 

お互いに、声を上げて

 

 

なんだろう、なんか怖い

 

父が何やら怒鳴る

すると母も負けじと声を荒げる

 

 

父、物なげる

 

床に米散らかる

 

母も米を浴びる

 

母、服を投げる

 

僕、泣く

 

父、こちらをみる

 

「泣くなぁ!!

 

ほおに衝撃、痛い

 

涙を堪える

しかし、こみ上げる涙

 

母、何やら呟きこちらにくる

 

 

、、、、これから先のことはあまり覚えてない

 

 

それからまもなく、僕の住む家は変わり

生活から父が消えた

 

 

あれからもう二度と起きない父を目の当たりにするまで

 

 

僕は父を軽蔑していた

あの一件があったから。

 

 

だけど考えてみたら

僕に対しても全く何もしてくれないわけでもなかった

 

 

朝5時、2人で車に乗り、市場に行ったこともある

翌朝、2人で車を走らせ、海を見に行ったこともある

 

 

僕と妹とで

寿司を食いに行ったこともある

 

 

棺の中で、花まみれになっている父を見て

 

 

仕事の話を少しでも聞かなかったこと

仕事を少しでも手伝わなかったこと

 

 

自営業で、1人で経営する父に対して

何もできなかったのか?

そんなことはなかったはず

 

 

いいところは一切なかったのか?

そんなこともない

 

 

僕は父と母と妹と

4人で家で暮らしたかった

 

 

しかしどうしようもなかった

 

 

どうすることもできなかった

 

 

しかし話を聞くことはできたんじゃないか?

もっと興味を持てばよかってたのではないか?

仕事を手伝うことも十分できたのでは?

 

 

少なくとも、ファミレスでもっと話を聞くことはできたのでは?

 

 

かつての両親の離婚自体はどうすることもできないが

 

 

かつての僕自身の振る舞いに疑問を感じた

 

 

父は自営業で居酒屋を経営して

たまに30人くらいあつめてバーベキューなどをやって

 

 

自宅で、夜中1時に、キッチンで燃えて死んだ

 

 

葬式はこじんまりとし

親戚7〜8人に囲まれた

 

 

お客さんはいなかった。

 

 

僕は葬式に参列してくれる友を作ろうと思う